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〜香咲のできるまで〜

ーナーの名前は岩根志津子。 昔からドーナツや、蜜マメ、もち草をつんできて草だんごを作ったり お菓子作りが大好きな少女だった。大人になってから、まじめにお菓子作りを勉強し始めたきっかけは、ある時、長女がお小遣いで添加物の沢山使われたお菓子を買って食べているのを 見て、添加物の入った食品、合成着色剤などはよくないと思っていたのでこれは何とかしないといけないと思ったことがきっかけである。それから、ケーキ教室に通ったり独学で研究をかさね、徐々にレパートリーを増 やしていった。

お店を出すきっかけは、母親であり主婦である自分自身が、一人の人間として 生きていくには何か出来ることはないか?と、かねてから考えていた。そこで、考えたのは自分に何が出来るのかということ。
ケーキを焼くことが昔から好きだったので、おいしいケーキを出せる小さなお店 を作ろうと思った。そこで思いついたのがカフェの開店だった。しかし、理想とする店はいわゆる一般的な喫茶店というものではなく、 ちょっとこだわりをもった珈琲専門店に魅力を感じた。しかし、当時の珈琲専門店で出すものは珈琲のみ。
ケーキを出すことは邪道だ。珈琲専門店の人間に、「喫茶店」と呼ぶとこう答える。

「ウチは珈琲専門店です」と。

マスターが珈琲一杯に精魂込めて、おいしい珈琲を追求するというのが珈琲専門店だったのだ。喫茶店のようにナポリタンやピザを出すなんてもってのほかというのが常識であり、当時の珈琲専門店ではケーキを出すなんてことは邪道な事であった。 それは、コーヒー豆卸業者がそういう店には豆を卸さないと言い張るほどのもの だった。
まだまだ景気の良かった時代の話である。珈琲屋という、こだわりの職業に魅力を感じ、物件探しを始めた。


まれて初めての店舗物件を探すために自転車で不動産屋へ出向きあらゆる物件 をあたった。
青山の他に広尾、麻布、四谷、お茶の水あたりまで自転車で何度も出向き、不動産屋めぐりをした。
約一年、たっぷりと時間をかけて見つけたのは神宮前の物件だった。やっと見つけた物件だったが、その物件は別名「みなすり横丁」というあだ名が つけられ、そこで店を出してもすぐにつぶれると言われるほど、商売には難しい土地だった。
今でこそ華やかな青山のイメージだろうが、二十年前当時の外苑西通りの裏道は薄暗く、店の前は自動車の修理工場(現在は宝石店)があり青山というハイカラなイメージとは程遠いものであった。

1984年3月開店 やっとの思いで開店した店であったが、人通りの少ない場所である。 客数は本当に少なかった。 どんなに経営が苦しくても、

「この店を作るために大勢の人から助けられ、開店 できたのだ。 その人たちの努力が無駄にならないように、そして感謝の気持ちを忘れないよう に 自分もがんばっていこう」と店を続けた。

そんな時、一人のお客様に、「このあたりできちんとした商売が出来るならばどこの土地へ行っても出来る」 といわれた。その言葉は何気なく言われた言葉であったが、ものすごく励みになりいつもそのことを 思い出しながら踏ん張り続けた。
何時、つぶれるんだろうという不安を抱えながらも、「一人、二人といらっしゃるお客様を大切にして行けばきっと明日も来て下さる。」と思い、心を込めて珈琲を淹れていた。

心が伝わったのだろうか?そうするうちに少しずつ、少しずつお客さんが増えていった。その当時のお客様は20年経った今も沢山いらしている。


〜香咲のこだわり〜

琲専門店としてオープンした香咲。もちろん、当初は珈琲しかない店であった。 しかし、珈琲を飲んだときにちょっと一口甘いものが欲しい。珈琲の付けあわせとしてクッキーをサービスで出したらどうだろうか?甘いお菓子の大好きなオーナーの発想だ。 珈琲をおいしく味わうためのスパイスとしてのクッキーを出したのが最初。これは利益云々のことではなく、純粋にオーナー自身がおいしい珈琲を味わって もらいたいという一心の願いから生まれたのである。胡桃のクッキーの誕生であった。そうやって、出していた付けあわせのクッキーが評判となり お客様側から、「他にケーキは作らないのですか?」という要望が増えてきた。ここまできたら、珈琲専門店では邪道だろうがどうでもいい。

ケーキを作ろう。

そこで生まれたのがスコーンとチョコレートケーキ。見掛けにはこだわらず、心を込めて本当においしいものを出したいという想いから作り上げられているケーキはたちまち評判となり常連客の舌を唸らせた。

スコーンは自分の好きな味を出したいがために、毎日研究を重ね気に入らないと捨てるという行為を繰り返し、1年かけてやっと作り上げた 執念のレシピだ。
それからチョコレートケーキ。チョコレートが濃厚でラム酒が効いてるパンチのある味は他にはないと、たちまちファンが増えていった。それから徐々にクルミとパイナップルとココナッツのケーキなどが登場したり、 続々とケーキの種類が増えていった。現在の人気メニューであるホットケーキなどはそれからかなり後になって出来たメニューである。

ーナーはいつも「うちはケーキ屋ではない」と、言っていた。 あくまでケーキは珈琲をおいしく引き立てるために作るもの。商売とか利益よりも、何より誰もが心からおいしい!と思ってくれるものを出したいと切に願っていた。 そして、オーナーにとってのおいしいものという研究の結果が「珈琲とケーキ」という組み合わせだっただけだ。
珈琲を主体とした経営の考え方。珈琲をおいしくするためのケーキ。うちはあくまでも珈琲屋だというこだわりをもち続ける姿勢。昔ながらの職人気質。

21世紀に入り、東京には喫茶店、珈琲専門店の数は数えるほどとなった。かわりに、カフェと呼ばれる現代的かつオープンな空間がもてはやされる時代となった。もはや時代遅れの産物なのだろうが、おかげで「こういうお店は最近なくなったね」と貴重がられるようにまでなってしまった。 フランチャイズカフェ蔓延の中、こういう店はなかなか良いんじゃないかと思う。
スローフードならぬスローカフェ。

この店にせかせかとした時は似合わない。殺伐とした世相を和らげるような喫茶店の存在に人々は癒され心がぬくもりで包まれる。

安らぎの空間と至福の一杯。変わらぬ味わいを愉しむ喜びを是非味わってほしい。


←香咲の由来

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